POPは何故か精神的に疲労する?!

どうしようもない焦慮に身を焦がすのを認め、一旦それを手放した上で、今この場で何か惹かれることに意識を巡らす。少しずつ見えそうで見えない何かの訪れを待つ。ふと気になった対象へ世界からの息吹きを吹き込み、地上で最も惹かれる場所にイメージを移す。そして、その場になりきり、その場が伝える何かに身を委ねて動く。

ただ自覚レベルを上げれば、アッと気づく。


何なんだ、これは!

こんな話をずっと聞いていると、いつの間にか眠りに誘われる。Ryoji☆には珍しい。起きているのか寝ているのか?渾然一体となった世界。ワークショップが終わると、クタクタになる。未知なる自分と出会う旅はこんなにもしんどい。

ただ生産性のない苦悩に比べたら、何かヒントが見えていることは間違いない。だから、疲労した分の価値はある。Ryoji☆の苦悩は、問いばかりで、答えがない。

「Ryoji☆から受ける印象が違う?!」と3人ほど久しぶりにあった方から言われる。

こういう精神的にキツいことを繰り返すことで、どうしょうもなく、認めたくない自分を突きつけられる。そこをちゃんと苦悩することで、Ryoji☆の中の何かが展開したみたい。


どっちでもよい。


ただ誘われるまま。タオの流れに身を任せる。

シンプルにただそれだけなのに、あらゆる所で抵抗が起きて、「流れたくない!」と言い張っている。なんでこんなにも頑張ってしまうんだろう?何故委ねられないんだろうか?何故幸せを感じることがこんなにも罪悪感を喚起するんだろうか?

またそれもよし。

ミンデルさんが「経験上、そうなんだ。」と何度かおっしゃっていた。まさに何が起こるか、まるで判らない。ただ経験上、こうだとは言える。この世は判らないことだらけ。これまでの歴史の流れをみても、知れば知るほど判らない。

なりきって内なる声に身を委ねる時、確かに宇宙は何かをRyoji☆の身体を通して告げる。荒唐無稽に思えても、後でそうだったのか!と得心がゆく。降伏すること。流れいずる何かに耳をすますこと。そう。兆しに気がつかないだけで、必要な何かはそこここに立ち現れているのだ。

苦悩好きなRyoji☆には、メリメリと苦悩状態を引き剥がされ、地上と一体になろうとするのは、今の時点では不自然。だが、タオのままであれとしているだけなのだから、流れを変えてもよいし、変えなくもよい。