「本当の私」の真偽

本当の私ってなんだろう?

コーチングを受けていると、それまで知らなかったRyoji☆が出てくる。カチッとした、あぁそうだった!と納得する面と、グィーとある方向へ引っ張られてアレーって感じがして、なぜあの時あんなことになったのか?疑念に思う。時によって微妙だけど、Ryoji☆の意志でない何かに持っていかれた感じがする。話の筋として、そうなるしかなかったみたいな。

その時々で、いろんなRyoji☆が立ち上がっている。それがある一点に向けてフォーカスされ続けると、ある固定点に達して、その場では「あぁそれがRyoji☆の本当だ!」と確信するけど、時間の経過と共に、Ryoji☆も変わっていく。過去と今の違和感。どちらも本当。でも矛盾。こういったことに突き当たるたび、「〜したい」という内から突き上げる欲望を感じないように自己制限を掛けている気がする。なぜならば、Ryoji☆の〜したいは叶わないから。やる前から叶わないとわかっているんだったら、傷つくのは嫌。だから、そもそも願わない。状況に流され、どうにもならない世の断りに涙して、苦しいと煩もする。ここに何かを創造余地なぞない。希望なぞないのだ。すべてはそうなると決まっているのだから。できることはただ苦しみを受け入れて、少し和らぐだけ…。

そんな世界観で生きているRyoji☆に、3/5の夜は、あまりにも幸せ過ぎた。「不幸には底があるが、幸せは無限。」と西田さんは書かれていた。バランスが崩れ、どうしたらいいか、受け止めきれない。もっと闇を。

ツキを呼び込む 究極の成功思考

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