CPCC試験不合格

東京は雨。どこか肌寒い。独り、用もなく家に直帰すると、3/5の試験が不合格と通知が来ていた。
ふーん。

いつになく冷静で淡々としている。

で、同時に受けたIっちゃんはどうか?気になってメールチェックしたら合格の喜びメッセージ。嬉しさを一生懸命押さえて言葉に載せている。よかったなぁ。やりきったんだなぁ。Iっちゃん、おめでとう!

で、そう言えば、いろんな人のお世話になったなぁ。特にクライアントさんには申し訳ない。お金と時間をRyoji☆に使ってくれて、ここまで来るのを助けてくれた。資格はないけど、そこそこやれてるコーチなんだと言いたかった。だから、この結果に申し訳ない気がする。

そして協力してくれたコーチ仲間に感謝と申し訳なさを感じる。大抵いきなり思い付きで「こんなことしたい!」と言うと、時間の空く間を提供してくれて、Ryoji☆の相手をしてくれた。ちょうど読んでる「仏教百話」に弟子のアーナンダがブッダに「共に学ぶ友は大切ですよね?」と質問したら、「大切どころじゃなくて、全てだ。」と応えられた。驚いて目を丸くするアーナンダに「何故なら、そうした友がいれば、いつか必ず涅槃(仏教の最終目的地)にたどり着くことができるから、そうした友を得た時点で、もう悟りへの道は確定したのだ。」と。然り。やっとDんな♪が「もうとくちゃんは合格しているんだから、めでたいんだよ」と言ってくれる真意がわかった気がする。確かに、もうこんな素晴らしい仲間と出会えた時点で、時々の結果がどうあれ、もうゴールまでたどり着くことは確定しているのだ。なんて果報者なんだろう!実に色んなコーチ仲間がメッセージを寄せてくれて、みんな励ましてくれる。ありがたい!そんな友を得られたのだと知っただけで、不合格以上の価値がある。
そして、Ryoji☆には理解し難いのだけど、「おめでとう!」のメッセージも多い。不合格なんだよ!なんか言葉の選択間違っている気もするけど、祝すべきことらしい。一体何を見てくれているんだろうか?これも味合わせてもらおう。

Dんな曰わく、「直ぐに言語化すると豊潤な気付きを失ってしまうから、瞑想だよ」というのを思い出したから、知った直後に書くのは止める。ところが瞑想のつもりがウタタ寝になってしまった。(苦笑)

書きながら、「不合格」について湧く想いと、CPCCなぞどうでもよいと感じるほどORSCに惹かれていて、Co-Active CoachingでKつやが「Ryoji☆の指針」とまで呼んでくれた何かを捨て去って、別の何かを目指していること。Yしぴーに憧れるけど、Ryoji☆はRyoji☆なんだなって3つ気づいた。回を分けて書いていく。

そして、立ち上がるメッセージとしては、大それているかも知れないけど、「Ryoji☆。あなたが目指す合格はここじゃないんだよ。あなたが目指す何かの手前の兆しとして、この試験はあるんだけど、あなたはまだ見るべき何かを見落としている。大きく羽ばたく前には、それなりの準備が必要。よく見て。確認して。おそらく見るべき物を見て、体験すべき事を体験して、出会うべき人と出会ったその先に、他の人とは全く違う意味がそこにあるんだよ。一度気付けば、それはなーんだってことなんだから。」って言われている気がする。もう一度意味を構築し直してみよう。だって、Ryoji☆が心から望む何かをかなえさせようと、こんなにも支えてくれる仲間がいるのだから。

仏教百話 (ちくま文庫)

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