混迷するRyoji☆のCo-Active Coaching。偽善と呼ばれようが、やっぱり人がすごいんだよとしか表現出来ない領域を感じる。相対していると、自然と言葉が溢れ、湧き上がる想いが止まらない。
FゆFゆに「つまりRyoji☆はシャーマンの修業をしてきたんだね。」と言われ、目がテンになった。えっシャーマン?!
反論しようと反証を探したけど、そう考えると、Ryoji☆の行動に納得がいく。だからこんなにも辛かったし、通り抜けてくる必要があったんだ。そして修業はこれからも続く。
しかし、そうなら修業のやりようがあるし、心構えも持てる。
だとしたら、情動のうずから言葉を紡ぎ出す才能がRyoji☆にはあり、その言葉は人には染み入る。生きる源にある感情を余す所なく味わうことで、喜怒哀楽が豊かになる。それが、今を生きるということ。
高度情報化された社会において、感情はロジカルな効率第一にとって、扱いずらい。誰しもが感情を味わうどころか、むしろ邪魔もの扱いしてる。何で、その人の趣味とか、これまでの半生とか、が仕事に関係あんの?
恐らくシャーマンとしてのRyoji☆は、恐しい存在だ。その人の内に眠る感情の蓋を開放するから。喜び楽しさも感じられるけど、哀しみ怒り憎悪殺意もこれまで以上に感じられて、否が応でもそれと向き合わざろう得ない。
なぜ私はこんな風に感じるんだろう?
それは長く苦しい旅。誰も代わってくれない。人は一人でどう歩むか?決めなきゃいけない。アドバイスは貰えても、それは参考になるだけ。つまり正解なんてない。どっちに行っても、よかったという安堵とあっちを選んでいたらという後悔に苛まされる。しかし選んだと受け止めること。
シャーマンとしてのRyoji☆は、憎まれる。良薬は口に苦し。そしてそれを受け止めて流すために、Ryoji☆自身の闇を認め、心静かにしないとその刃はRyoji☆の身に降りかかる。人に放つと倍以上の痛みとしてRyoji☆に降りかかる。絶えなる修業が必要だ。
それはRyoji☆にとって苦しかった。逃げていた。しかし、どうやってもここにRyoji☆は戻ってきてしまうことに気付いた。であれば、受け止めて、その道を堂々と楽しみながら行こう。それがRyoji☆に還る道なのだから。
- 作者: ゲイルブラウニング,Geil Browning,大野晶子
- 出版社/メーカー: ヴィレッジブックス
- 発売日: 2008/02/01
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