成仏できない想い

ロールを設定してわざと対立を巻き起こしておいて、演じた結果としてロールが消滅せず残り続けるとしたら、それをやることにどんな意味があるのか?

ワールドワークをやる前に、説明を聞いた参加者から問い掛けがあった。うーん、一理あるなぁ。Ryoji☆なりに応えるなら、それは場によるなぁ。

今回2回目ワールドワークを体験しての気づきは、必要なことは、場に現れるってこと。耐え切れなくなった参加者が全然ワールドワークを知らないけど、ロールを取り、場に声を伝えてくれた。それはまさにある意味個人だけど、ある意味場が求めていたとも言える。そう失われた無念さは記憶している者がいる限り、今も残る。
やっと儀式の意味が少し分かった気がする。何故こんな形式的なことに、時間を割くのか?昔から退屈で堪らなかった。本来は共同体の絆を再確認する作業だったんだ。それを共有したと、外面を共有することで、我々は一つのコミュニティーなんだという幻想を振りまいたんだ。
そして、どこにも安全に高みの見物を出来る場所はない。ロールを単に見ているだけで、ドキドキする。それはリアルの世界でも同じ。大きな一つ。ただし、それは物理レベルではなく、想像の抽象レベルにおいて。
言葉が描き出す世界に巻き込まれる。言葉は完全を描く傾向がある。だから、気持ちに気付かずに、発すると、言葉が描く論理には刃向かえないけど、そこから伝わる気持ちには反発したりする。ただ言葉の上にないメッセージなので、そこを明示してやり取りするのは難しい。

いずれにしても、これは始まりの場所。そういった関係から投げかけられる呪いを祓うと、初めて今ここの対話が可能となる気がする。

経営の未来

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