「リーダーシップ」という思い込み

いまだに「正しい」という審級を手放さないRyojiは、他者に「〜すべき」という強制をいろんなやりかたで迫ることをリーダーシップと勘違いしていることが多い。MっしーやAっちゃん@Hたるのコメントを聞く度に、「あっちゃー、またやっちゃった(>_<)」とハッとする。Dんな♪が教えてくれたように、リーダーシップには色々種類がある。だからRyoji内基準で判断するのでは、これまでと変わらない。どんなリーダーシップでもOKなんだ。問題は、他者との縁を自覚して、ビジブルな(可視)私はどんな影響を与えているか?に気づいて、関わり続ける意志。時に沈黙するのもリーダーシップ。だから、「意図は?」なら意味がある問いだけど、「あるべきリーダーシップから逸脱している!」と言う指摘は間違っている。それがどんなにずれていると感じようが、「それを止めろ!」というのは相手のリーダーシップに対するおせっかい。言えるのは、やった後、「それはあなたの意図に沿っていた?」ということ。「もし違ったなら別のやり方だよね」ってこと。
あなたにしかできない、あなたの生きる意志がみたい。そのきらめきを感じたい。
「正しさ」からより貪欲な欲望って何?へ。

人材価値による経営の時代

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