ブログのテーマはいつも苦悩?!

Dんなに「Jijiのブログは苦悩の記述だよね。人生にはもっと楽しかったこともいっぱいあるだろうに。」と言われて(注:かなり脚色しています。)、そっかJijiは苦悩を書くことを選んでいるんだと、我がことながら妙に感心した。

知り合いにブログには偶然とは思えない小さなよかったことを忘れないように書いている方がいる。読んでいると、この世界は摩訶不思議だ。又別の知り合いは3回に1回はこんな美味しいものを食べて幸せって書いている。読んでいると、この世界はまだまだ美味しい食べ物がいっぱいある気がする。

志向性の違いで、立ち現れる可能が違う。

Jijiにとって書く価値があるのは、うつろい行く一瞬の中でJijiはこう考えたこう感じたってことなんだろう。多分。書くことでJijiのうちをクリアリング・スペース(スペース・チェック)しているみたい。するとJiji本人はあっけらかんといられるみたい。だから、生身のJijiと会うと、ブログでは深刻に悩んでいるように書いてあるのに、何でそんなに元気なの?って不思議がられる。

逆にJijiにとって自然なこの状態が「へぇーっ」て記述されるってことは、人は苦悩ばかりしてる訳じゃないってことかな。やっぱり変なんだJijiって。

で、この選ぶことが出来る志向性をどうしたいんだろうか?どんな世界をこの世に見出して行きたいのだろうか?現実とは一枚岩じゃなくて、綻びがある。どんな新しい「現実」をそこに並べ直すのか?個人に受け取る受け取らないは選べる。本人がその現実にYesと言ったからそうなった。それと私は違うとすれば、選べるスペースが出来る。世界はある視点から整合的に並べ直すことができるんだ。それを創り出しているのはすべて内なるJiji。無視するでも、引き受け過ぎもせず、ただそこにそれがあると見る。で、思いっきりJijiの視点を世界に広げて、交流する。そんな感じかな。