書くこと

コーチングのアサイメント(課題・宿題)のひとつに、書いてみるってことがある。内側で思っていることを外に出す。なんーだ!と思うかも知れないけど効果がある。実際、自己実現の本で、(1)願望を紙に書く。(2)朝昼夜と眺める。(3)内側の無限のエネルギーを感じるというものがあるくらい。言葉にするってそれくらいパワフルなことなんだ。

しかし、この書くと言うことはいろいろやっかいでもある。

まず湧いては消えする考えに形を与えるのは、それって何か、観察しないといけない。文はひとつしか許さない。でもその時感じている想いはいろんな想いがまざりあっている。より分けて文に落とし込むのは、たくさんの想いからひとつを選ぶこと。うまく言いたいことを言い当てて表現するって大変なのだ。ただこれは訓練なので、やれば上達する。特に、比喩やイメージで語れるようになるとGOOD。

次にそれをJijiだけじゃなくて第三者に分かるようにするためには、構成しないといけない。瞬間にワッと感じたことを、ある論理構成で再構築しないと伝わりにくい。

つまり、現象としては瞬時にいろんな想いがワァーと拡散しているのを、一直線に時系列に並べ替えて、表現しないといけない。しかも十全に表現するためには語彙を増やす訓練も必要。

で、どんな効用があるのか?

まず明確になる。Jijiが第三者からの視点に立って見られるので、Jijiの抜けが分かる。人に伝えられる。具象から抽象になるので、応用がきく。

結果として、理解が深まる。より何をJijiが感じているのか、分かる。

大学の時に、アメリカの文章構成に乗ったとエッセイを出すようにをさんざんやらされた。やっていた当時はその型に不自由さを感じて反発していたけど、今はその大切がわかる。型があることで、より意図が伝えやすくなるのだ。

最初に段落で一番言いたいことを文章にする。最初の段落で、これから述べることを網羅する。次の3つの段落で、主張を補充する根拠をそれぞれ提示する。最後の4番目の段落で、もう一度主張と論拠をまとめて、だからこうだと主張する。これがどうしても伝えたい時の基本の形なんだ。

Jijiの原点は「うさぎ草がモルモット草に」っていう小学5年ぐらいの遠足の出来事を書いた作文。こと細かに何があったかを描写した。誰がこうした。あぁしたが永延と書いてある。退屈きわまりない。でも、書かずにはいられなかった。タイトルは、あぁだこうだ、ずらずら出来事が起こった中で、多少は面白いこと。遊びにいった先にいた動物に草を上げていたら、最初うさぎが食べていたのが、モルモットが食べていたということからとった。未だに、母や弟から「あんたはあの作文を書いた人だからね」と言われる。

映像のように、あったそのままではなく適切な省略が大切。それを学んだ。

書くことの訓練は苦しいけど、その分の見返りも大きい。

今では、「レポーターJiji」とコーチ仲間に言われるほど。いやーあの「うさぎ草」と同一人物とは思えませんね。