日本庭園あるいは止観(?)

マイ・コーチとのセッションでJijiの直感を一緒に見た。
幼い頃それは居ても立ってもいられない、しかもうまく表現できないし、周りは誰も分かってくれないし、とにかく身体を動かして振り払うものだった。コーチグやフォーカシングと出会って、それはあぁ良いものなんだと初めて価値あると、変わった。しかしそうなると意識して「直感、直感」となり、逆に苦しかった。合わせて意識が飛ばないと出せないものになってしまった。Dちゃんのように、ビシバシ直感を出し、クライアントさんを涙の世界へ誘ってしまう人を見て、脇で聞いていて怖いほどで圧倒された。そこにはそんなキラキラしたイメージもある。

で、最後、日本庭園のイメージが出てきた。幼い頃怖かったのは、洞窟で反響する音に怯えていた。怖いって騒ぐほど、音は大きくなってさらに怖くなった。静かに好奇心を持って、どんなんだろ?って佇むと、そこにもあそこにもそれはある。そっとたおって、「こんなんありましたぇ」と場に差し出す。自然体。これが止観ってことなのかな?Jijiはいたるところからそれを差し出せる。より深く、そこにあるすべて、生き物、物質、空間から紡ぎ出す。今、この時語りかける何かを愛でる。場と一体になり、そこに息づく。