美とフェイク(偽物)

草月流生け花の假屋崎さんが苦手だ。どうも見ているとソワソワしてテレビのチャンネルを変えるか?見るのを止める。人のせいにしないでJijiの中の何が刺激されるのか?考える。(注:以下はJijiがそういう感覚をJijiのうちに見いだすと述べているのであって、假屋崎さん個人がそうだと主張している訳ではありません。)

自己主張。自己陶酔。偽物。他の人が気がつかないところに美を見いだした優位性、権威性。自己確信。感受性を表現に転化する妬み。押しつけがましさ…。


要するに、妬ましい(苦笑)Jijiは他の人が誰も理解してくれないんじゃないか?って想像すると怖い。Jijiの独自性を発揮したら一人ぼっちじゃないか?と思うと、どうしたら相手に受け入れてもらえるか?にばかり注意が向く。だから、堂々と私はこれがいい!と断言されるとザワつく。うんなんスパッと割り切れる訳がない。それをやすやすやっているのは、偽物だから。ちゃんと自分の感受性をなめず、頭のうわっつらで満足している。軽薄で浅はか。


美は恐ろしい判断基準。理は通じない。瞬間にすべてが見抜かれる。それが怖い。

そして美は欺く。美は美でしかなく、そこから喚起されるイメージは受け取り手が付与したもの。内実とは違っている。幻滅する。幻惑してガッカリするJijiがいやだった。ショックを受けたくなかった。

コーチングをしていると、美しいと思うのは、クライアントさんのほんとうの想いに触れたとき。「ああ、そうだったんだ。そうだったんだ。」自分の本当の想いに触れたクライアントさんからはエネルギーが放出される。自己の枠が取れ、本来のその人が持っていた輝きが急に生き生きする。それは決してきれいな想いばかりじゃないけど、でも美しい。そして、そこからの決断の姿は凛々しい。

今はただ、そんな美を受け止めきれないJijiだということを認めよう。すべてはそこから。