希望あるいは誠実な希求としての意図を語ること

小さい頃から天邪鬼で、人と違うことに「やったぁ!」っていう快感を求めていた。みんながこうで、Jijiもそうなんてつまらない!なんかこうビックリさせられないか?って思っていた。(今のJijiはJijiの過去をそう解釈したがっている。)

だから意図は秘めるもの。最後に種明かしするものだった。だから、こうなったらいいなぁなんて空想はしても人に語ることはなかった。

大きくなるにつれ、知識が増え、色々な価値観を知り、考え方として等価(=文化相対主義)だと思うと、益々何も語れなくなった。Jijiの願いはこうかも知れないけど、それはひとつの視点。他人への強制力はない。だとしたらJijiワールドに閉じこもるしかない。そう思っていた。ましてイデオロギーのぶつかり合う「冷戦」という時代のバカバカしさと、それを「あほかぁ」と笑えず、リアルに生死を迫る存在として機能することに恐怖した。自分の考えを表明するのは危険。よくよく場を見極めて、誤解されない人へこっそり明かす。そうでないと、死が待っている。日本の場合、そこまで深刻でないかも知れないけど、「いじめ」ってということだよね。何がきっかけで仲間外れにされるか、わからないんだ。一端そう見なされたら、そのラベルは剥がせないんだ。

それがコーチングと出会って、別の可能世界が成り立つかも知れないと体感した。みんな一人一人別の夢を見ながら、相手の夢を励ます世界。多声の和音の世界。それも明確な方法があり、いつかたどり着く!と希望を保てる。それがコーチングのように今のJijiには感じられる。

「私、こんな関係を持てたらと思うんですよ。そして今、実際にそれをここで示したい」「そっか。そうなんだ。」「でも、私はこう有り続けたい。あなたはどう感じる?」「じゃぁ、さぁ、あなたのそれと、わたしのこれが共に補い合って、活かし合うとしたらどうなると思う?」

だから今は魔法の杖に願いをかけよう。どうかこの世に人が生きる最高の善を現し下さい。こんなにも愚かかで過ちばかりを繰り返し、生きる意味を失いし我ら人類にその持てる輝きと崇高さ、気高さを示したまえ。

ここまで書いて、最後のフレーズはJijiらしくないって感じた。
うん。そうじゃないんだな。
今はどうしたいのか?何がJijiのほんとうの願いなのか、わからないけど、この道はやさしくない。簡単じゃない。痛みも大きい。でも、わたしとあなたがお互いに創るってことだけは確か。そこにしか、そこからこそ、明日への願い、祈りは生まれてくる。きっともうそれはそこにある。あとはただ感じればいい。聞けばいい。全身を使って、生きる感覚を開いて。

ナラティヴ・プラクティスとエキゾチックな人生
マイケル・ホワイト著 / 小森 康永監訳
金剛出版 (2007.2)
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