探究=Not Knowing=non-expert=初心=好奇心を共にする

岸英光さんのプレ講座に出た時にスタッフの皆さんが「私もこれで何度目かになると思うんですけど、毎回得るものがあるんですよ」って、おっしゃっているのを伺って、同じ講義内容で毎回得る物があるってどういうこと?ってわからなかった。

ギリシアの哲学者ヘラクレイトスが言うには、「同じ河に君は二度踏み入ることはできない」。河に入るのは同じ行為だが、全く同じ水の流れに入ったとは言えない。なんか理屈の上のことを言っているような気がした。ある意味で当たり前じゃんって感じ。

場を味わう。
同じ講義内容でも、聞いている人の反応が違う。そこで場を共にしつつ、再度問いかける。これは一体どういうことだろうか?その反応はほんと様々だろう。だって、聞いてる人が違うんだから。すると、正解が揺らぐ。同じようにたどり着いているように見えるかも知れないが、このたどり着き方は今回だからこそ。次回はきっと違う。

「叶えたい願望は全部叶えるですよ」「えぇ!一つに絞るんじゃなくて!」
誰に言われた訳でもないのに、自然にJijiにはできないと制限を付け加えてしまっているJijiがいる。

制限的考え(リミィティング・ブリーフ)。突き詰めて考えてみると、根拠がない考え。
年だから。→身体機能的な年齢にはバラツキがある。
男だから。女性だから。お金がないから。コーチの経験がないから。

この人若いと感じさせる人は、リミティング・ブリーフがすっ飛んでいる。純粋に好奇心を持つ。勝手に自分の枠を作ったりしない。常に吸収しようとしている。そして学んでいっている。考え方が柔軟。逆に教えられることも多い。それでいて謙虚。よっぽどい知っていますよ。

突き詰めて考えると、確かに実現が難しいことはその人の置かれている局面によってあるけど、工夫を積み重ねることで切り抜けられることも多い。

となると、はたと気がつく。
あれれ。もしかして、できてしまうのかも?
それは光に満ちあふれた世界。だって望んだことがなんでも実現していくのだから。え、世の中ってとことん楽しんでしまっていいわけ!いいんです!こんなに次から次に素晴らしいことが起こってしまっていいの?いいんです!こんなシンクロニシティが起こってしまっていいの?いいんです!こんな好きなことをしながらお金ももらっていいの?いいんです!

何を本当は求めているのか?自らの中の光を怖れず、開放してみよう。口に出して宣言してみよう。

もちろんいきなり飛ぶことはできない。一歩一歩。でも、試行錯誤をしていくことで、何を求めているのか?がハッキリしていれば、いずればたどり着ける。
振り返ってみると、達成出来たときには条件を満たしている必要があったのだなあって思う。これができるには、これとこれができていないと難しくて、かつてこれもこれもないのに、これを目指していたんだ。だからあの時は挫折したんだって気がつく。
今のJijiは、全体の理屈は腑に落ちたけど、じゃJiji自身それを体現しているの?って言われると、やる前から、あきらめてしまっていて、案外何をしたいのか?明確にしていない。明確にするのは怖い。願望が実現していく人生に切り替わるのが怖い。

「Jijiって謙虚だね」って人から言われる時、なんとも言えない感覚があったけど、やっと説明できそう。「謙虚」なんじゃないんだよ。単に好奇心があるだけ。ついつい本当にそうなの?って聞きたくなるんだよね。同時に、いかにJijiの物の見方がある一方の視点だけに偏っているか?自覚があるから、一歩引いてまず相手の視点を理解したいんだよね。

「Jijiのコーチングいいよ」って言ってもらった時、話を聞いていたらJijiの中の感覚が、クライアントさんの体験との差を知らせてくれる。ハッキリ口に出していないけど、きっとこんな気持ちがあったに違いない。だとしたら、クライアントさんはこの選択をこう解釈しているけど、こうも解釈できるよね。それって素晴らしい!…ってな感じで、想いが止まらない。そしてそれが意外にも「ありがとうJiji」って言われることだったりする。
素晴らしいのはクライアントさん。自分の中の光を信じて、それから一歩を踏み出しているのだから。それはJijiにすごく勇気をくれる。ああ、こうもあれるんだぁって。すごいよね。