響くためには同じ何かがお互いにないとダメ?

「話せばわかる」と青年将校に話しかけて、暗殺された犬養首相の話はとても印象に残った。でも、小学生から中学生にかけては、人と人とは、最後の根本のところは、徹底して話し合えば、理解し合えると思っていた。だから、世の中の争いっていうのは、お互いに話し合おうとしないことや、言語の違い、民族の違いで、話し合うのが難しい時に起きるのだと思っていた。

ところが、大学で文化人類学の宮永教授に「自己と他者との間には、断絶がある」と教えられ、えぇーと衝撃を受けた。が、よくよく考えるとそれは真であると思えた。

で、今コーチングをしていて、怖いなって思うのは、お互いがわかり合うためには、何か共通の因子がお互いにないといけないのか?ってこと。クライアントさんが段々気づきを起こして、最初からそれはそこにあったのだけれど、すっかりその人自身から忘れ去られていたことに気がつく。

ほんとのほんとでこころが触れ合うようなセッションでは、コーチがクライアントさんをぺーシングして、気持ちを合わせるのが大切。呼吸。身振り手振り。使用する言葉…。すると、なんか気持ちがわかってくるから不思議。

逆に言えば、共通項がない相手とは分かり合えない。逆に差別を助長する感じがする。つきつめていって、なんか違うと感じてしまうと、間の深さに驚くばかり。コーチングを知らない前の「知らない」とは明らかに質が違う。

コーチングで言う「本質」とは、人と人とは根本的に同じだということを招聘するものなんだろうか?場を共にすると感じるこの一瞬のつながり感。それはほんのひととき、断絶がつながったと感じられた特異な現象なんだろうか?人は生物として同一種ってことなんだろうか?この間をつなぐものとして感じられるそれは、ほんとに私が見ているとそれと、あなたが感じているそれ、同じなんだろうか?それとも共振なんだろうか?

セレンディピティ物語
エリザベス・ジャミスン・ホッジス著 / よしだ みどり訳・画
藤原書店 (2006.4)
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