会社で仕事上やりとりがある方のお母さんがなくなり、浦和斎場まで行った。
まずいかにして亡くなったのか?経緯が述べられ、特に読経もないまま、白いカーネーションの献花。それに合わせて、故人が好きだったという竹内まりやの曲が流れた。カラオケに行くと1曲は歌うほど好きな歌手なので、ビックリした。
ソースのプログラムで、死を意識する時、どんなことをやって亡くなりたいか?という設問があった。コーチングでも、本当は何を心から欲しているのか?自分自身に問いかける質問として、死を考えてみるという発想がありだ。
自分が亡くなった時にどうなっているのが理想か?を考えると、日々その状態に向けて生きていると言えないことに気がつく。
この所は学習意欲が高いが、毎年60冊ほどを読むのがやっとだった。そう思うと、死ぬまでに名作と言われている本を一度読んでおきたいと思ったことがある。(結局後回しになって、日々ライトノベルと称される軽い読み物に逃げ込んで、心の浄化を図っているのであるが…。)
平均寿命通り生きるとすればこれまで生きてきたのと同じ量の時間が待っている。ちょうど折り返し地点にいる。結構長いようで、短い人生。本当にやりたいことなら、それに向かって、一歩を踏み出してみなくちゃ、ああ日々の忙しさにかまけていたらこんなことになってしまった!と死ぬ段に後悔するのだろう。
どんな風に、自分の社会的な死を認めるために集まった会衆に見送ってほしいのだろう?
義理じゃなくて心から悲しんでほしい。だったらどういう自分であればそんな人の心に存在感を残せる人になるのだろう?しんみり考えさせられた。