行政の形の移り変わり

この秋(9月)から、地方自治制度と図書館をめぐる行政サイドの枠組みについて、講義を受けている。
とても膨大で、かつ、骨組みばかりの話なので、「ふ〜ん、そうなんですね〜」と言うしかない面がある。そう描かれた裏側にある人間ドラマが見えないので、つまらないこと、この上ない。



そんな中、どうも聞いていると

1.中央集権から地方分権へ=国・都道府県・市区町村の役割の明確化

2.国は補助金で地方を誘導するのを止め、方向性や知恵を出すコンサルタントになる。実行はあくまでも地方自治体の自主性。身近な地方自治体が仕事をする。


3.公サービスの縮小


を、しようとしているのが、今のトレンドって気がする。


成長過程はやりやすいけれど、縮小過程は難しい。
現場の難点は、人。
今いる人のキャリアパスをどうするか?困ってる。(教員の新規採用枠を見ていると、このあたりの国家意志は揺るぎない。子どもたちにとって望ましい環境よりも、今いる人のことを優先させた。これは官だけでなく、民にも当てはまる。教員の年齢分布は人口比と合ってない。団塊の世代多し。今、退職に伴う若い人採用増。)

かつ、これからの図書館で勤務したい人に準備できるキャリアパスは、「司書だけでは食べていけない」という過酷なものだ。(図書館費事態が削減されており、人件費も縮小対象になってる。)

「この(公共)サービスはやれ。だけどお金はない。」っていうどうしょうもないどんずまりをどう受け止めたらいいか?Ryoji☆はため息になる。全く業界の未来は暗い。(この話になると千日手的議論になるので、視点を変える必要がある。民間の発想では、お客様に支持されなければ、おまんまが喰えないのは当たり前。ややこしいのは、そこで「公共とは何か?」の理念の話が出てくるから。官においては統治上やらねばならない最低限を担うのが、公的サービスと発想する。この2つの論理が人によって混ざり度合いが違うので、全く議論がかみ合わない。)
そして、一方、最近のトレンドから行政サイドとしては後監督業務が発生することになった。まるで経験のない未知の領域。これは、民間企業でも言えるけれど、現場に一番知恵がある。現場を知っているからこそ、適切な監督も出来る。ここで踏ん張らないと、サービスが低水準で止まる可能性がある。
この監督者と被監督者の関係は非常に微妙。
人間関係で想像して欲しい。業務がよくわからないけど、後輩を指導することを言い渡された先輩は、後輩を育てるよりも、どこが駄目かチェックし、注意をすることで、業務を果たそうとする。場合によっては、上司に後輩の解雇を進言する。一方、上司は新規雇用の応募がそれほどでもないことを知っている…。
理だけで押し切れない現実があり、そういう現実の中、理想に近づけるために、お互いの出来る範囲を持ち寄るしかない。
そしてここでも法をたてに押し切るか?(まるで聖書のイエスと律法をめぐって議論する人たちと同じ。イエスは形式を守ればよいのではない、と説いた。)法の要請と現実との妥協を考えるか?判断が分かれる。(Ryoji☆は後者。)

官にとっても民にとってもこの新しい世界はまだ規範たる慣習が蓄積されてない。2つの全く違う倫理を合わせようとすると、その矛盾を抱え込んで難儀するのは現場だ。こういう矛盾の吹き溜まりで、それでもやっていくにはどうしたらいいか?悩みは深い。