ITによる情報革命:図書館への影響

資料のデジタル化がもたらす衝撃の本質は、探索時間の圧倒的短縮にある。
求めている資料がサッと探し出せ、元資料まで呼び出すことが可能だ。
従来、先行研究を参照するのに、手間と時間がかかっていたことから考えると、その利便性は圧倒的だ。従って、研究を担う大学が、ドンドンデジタル対応するのは、そうしないと知的生産性が落ちるからに他ならない。このバックがあるのとないのでは、出せるアウトプットが全然違う。
羽生善治さんが、将棋界でのデジタル対応に対する比喩として、高速道路、目的地付近渋滞を言われたのはうまい喩えだ。デジタル化によって、ある一定水準までは誰でも気軽に気安くなった。しかし、そっから先が難しい。
これが学術の世界では、文字通り世界が一つになっている。明治以来日本は慣習として、西洋舶来の知識をもってやるっていう流れがあったけれど、最早それはない。

となると、その特性に合わせて、私たちが変わらないといけない。嫌だと抵抗しようにもその変化は不可逆性を持つ。各種問題(著作権など)も、この圧倒的利便性が見えている以上、遅かれ早かれ根こそぎ変わっていく。

図書館こそそういった情報政策を現実化させる場であり、半歩遅れ変わらないと変化に振り落とされてしまう。

このIT化の衝撃により、図書館の概念変化は、社会教育から生涯学習への転換にある。
こうした圧倒的な高速道路の利便性の恩恵にあずかれるか?あずかれないか?情報という視点からすると死活問題なのだ。何かを提供する=教育するのではなく、何かを学ぶ手助けをする=生涯学習へのためのサポートへ。根本的に在りようを変えないと図書館は社会から見捨てられてしまう。そんな危機に今はさしかかっている。