他人から「感受性豊かだね〜」って評されるけど、Ryoji☆的にはいいことばかりじゃない。
妻に「始末書野郎は嫌いです」と言われ、センシティヴになっている時、2回目のミスが発覚した。気がついて下さった他部署の方のおかげで、未遂で済んだ。忙しいので相当注意力が落ちていた(涙)。
で、直属の上司からその他部署と私たちの部門長へメールしておくように言われた。
したら金曜日のお昼に直属の上司に呼ばれ、部門長がRyoji☆が書いたメールに謝罪がないのは問題って言ってる。「後で呼び出しがくるかもよ」と言われ、その日1日カッカッ来ていた。
そのことが頭から離れなくなってしまった。
理屈的には、部門長の指摘通りなんだけど、Ryoji☆はうまく言えないんだけど、いろんな気持ちが溢れてモヤモヤしてた。
妻に話せば「またやったの!」と、傷口に塩を塗り込められるのが目に見えたので話せない。
「クヨクヨしないで気持ち切り替えて!」なんてポジティヴになれないのがRyoji☆たる由縁。Ryoji☆にポジティヴ思考は百害あって一理なしなのだ。なにしろ「苦悩好き」だから。
で、インタラクティブ・フォーカシング・カフェに参加した。
スッキリした。
ごちゃごちゃして言葉にならなかった想いは、「この忙しい状況をわかって欲しい!」だった。それがわかって貰えるなら、確かにRyoji☆が悪い、ミスしたと謝れる。それなしでは承服出来ないって想いだった。
インタラクティブ・フォーカシングをすることで、聞いて貰い、イメージを貰い、そうかそうかこれはそういうことか!って平易に気がつけた。根っこが押さえられると、モヤモヤは消える。フォーカシングをやると、このスッキリ感はいつもある。根っこの想いは言葉じゃなくフェルトセンス(ボディセンス)だなぁって感じる。
Ryoji☆が創りたい場は、参加してる人がボディセンスに響かせながら話せたらいいなぁって思う。世俗的な価値のよさではなく、そういう納得さは穏やかな充実がある。キャンプで火を囲んで話すみたいな。
フォーカシングは今ではRyoji☆自身の身を守るためになくてはならないやり方になってる。感受性の豊さの負の側面をカバーするのに欠かせない。こんな穏やかで満ち足りた境地を多くの人に知って欲しいな〜。