世界を変えない。自分のありように還れ。それが「世界を変える」こと。

これから書くことが分かって、今とても寂しい。違う。それだけなんだけど、助け合うことは出来ても、最早道が交わることはない。それが寂しい。


自分が世界を創っている。世界をどう受け取るか?で、世界は変わる。つまり、自分に還ることが即ち「世界を変える」ことになる。
こう書くと、現実=リアルって確かにあるでしょって反論されるだろう。確かに物質の領域は「こうだ!」という共通了解が成り立ちやすい。しかし、量子力学の領域にいくと、共通了解は成り立たない。確率の揺らぎが生じる。
縁=関係=世界と考えると、縁の強い弱いはあっても、全てはつながっている。
「世界を変える」は呪。前提に「今の世界は間違い。」という考えを呼び込んでしまう。私が正しく正す。それはエゴだ。
自分に還るとは、ありのままでいるってこと。例えば、Ryoji☆は、感受性が敏感な時があり、目の前で痛い気持ちの人が気になって仕方がない。他人はそれを「優しい」と表してくれる。だけどRyoji☆にとってそれは呪いでもあった。気持ちが分かったと思って、差し伸べたRyoji☆の手を、Ryoji☆にあるエゴ=上から目線を感じとられて、なんども拒否され、Ryoji☆は悲しかったし、怒ったし、人を信じられなかった。
Ryoji☆は気持ちを論理的に言葉に表現するとNべさんやKーチちゃんに表してもらった。逆に言えば、そうやってRyoji☆内の気持ちを言葉にして解き放たなかったら、苦しくて堪らなくて、自然と毎日修行をした結果とも言える。
どう足掻いても、どんなにそれが嫌だったとしても、力を抜くと、そこにRyoji☆は戻って来てしまう。そう、そう在るのがRyoji☆なんだ。それを受け入れるのが、嫌で嫌で仕方がなかった。そんなRyoji☆は大嫌いだった。
しかし、自分に還ることを受け入れた時、急に楽になった。あとはそれをどう扱うか?
Ryoji☆は喜怒哀楽を100%解放出来る力がある。今まで、闇好きで人と一緒に泣くことばかりして来た。それはRyoji☆自身を消耗させ、疲れ果てさせた。これは同時に、感情を失い、生きる喜びを失った人に、あなたもよかったら喜怒哀楽を表現していいんだよって、Ryoji☆がそう在ることで、可能を開くことにも使える。 だとしたら、笑いたい。生きる喜びを体現したい。
そうやって、人のあり得る姿を表してくれる人に人は惹きつけられる。美しい。あんな風に私もなりたい!とエロスが芽生える。
だから、「世界を変えたい」のなら、まず自分自身がそのあり得る在りようを体現することなんだ。すると、世界は変わる。それが違うってこと。そこに変えようとする尊重のなさはない。単にありのままへ還るだけ。

それに気が付くと同時に、もう一緒にやっていくことのない人がハッキリ分かった。違う。在りようが違う。時に手助けをするかも知れないけど、心からコミットして同方向の人生は歩まない。だって違うのだから。そして、出会う人が現れた。あの人とは会うべくして遭うのだ。しかし、今はそのお別れが突然で、なんでこんなことになったのか、分からなくて、無性に寂しい。
ただ森の中でじっと周囲を味わうと分かるように、この時この瞬間、相互に影響しあっている。森には森の断りがある。それを知って、気配を合わせると、森の多様性の一部になる。その時、大きなワンネスを感じる。

そして、Ryoji☆の道も決まった。Ryoji☆は、人に感情を取り戻す手助けをする人だ。そして焦点は、今目の前で困っている人で、かつ、人間関係で困っている人。

一旦使命がわかると、あとはこのプロセスをどうしたいか?
そうだなぁ。先ずは落ち着いて考えたい。どうしてもここへ戻ってくるのであれば、慌てないし、楽しんでやりたい。ただし、もう揺るがない。

ヴィジョン―次元のベールを超えて見た地球の未来 (5次元文庫)

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