学習のループ・慈しみ・野尻キャンプ

大学の時に参加した野尻キャンプは素晴らしかった。それまで味わった事がなかった人との触れ合いを教えてくれた。Jijiはどうしてあの場ではあぁなり、下界だとあぁならないのか?社会学(ちょっぴり人類学)専攻ということもあり、成立条件を知りたかった。そこで行われてる違う点を上げて、その効果を説明してみた。でも、一番言いたい素晴らしい点を全然説明できた感じがなく、10年たったら再挑戦すると書いて「野尻キャンプ理論」を終えた。

学習のループでは?と「ハラスメントは連鎖する」を読んで思う。

素の自分がどう感じているのか?それを自由に許容する場。それが許された時、嬉しい。自己探求と開放。周囲は慈しみを持って見守る。ただ尋ねる。ちゃんと感じてる?その時内なる生命の泉と触れ合い輝きが産まれる。すると矢印は逆転する。周囲からの慈しみにより、静かな自己探求が進んだのが、今度は内なる声に気づきエネルギーを巻き出す人によって周囲がインスパイアされる。

もう一歩言えば、それは関係性。そこに大いなる生命が加わり、大いなるパワーが二人の間に生まれる。仏教でいう縁。そして空。

ラジオでフィンランドの教育方式が注目されているとあった。日本の教育は試験を何度もやることで、できる人に、ここが上限ってブレーキを掛けているかもとあった。そう内なる声に呼ばれた人のパワーは本人すら予測を超えたとんでも無い所までたどり着いてしまう。

ずっとそれを生み出すことを求めているのかも知れない。