無反応・関わり・リーダーシップ

Iさんから「Jijiが『一人で』なんてことはないでしょ!」と怒られた。それは、N会と言うコーチ仲間の会を呼びかけ、土曜日に一回目の集いが終わった時点で、不安に襲われ、「一人ぼっち」みたいな表現をメールした返信でだった。

しばしIさんの感じている視点に立つ。確かにそうだ。コップの水が半分の時、「しか」か「も」あるでは、受け取る印象が違う。Iさんはこれはできた。みんなの気持ちもエンジンかかってきた。大丈夫。次もっとワクワクするのに何ができる?と同じ現象を見ていた。「も」の視点。

Jijiはリードとなると、できていない所に意識が集中して「もうダメ!耐えられない」と思う。コップの水でいう「しか」の視点。

誰がついてくるかも分からず、全人未踏の沼地に足を踏み入れる。その時頼りになるのは自分自身が誰よりその先をみたいと感じること。Jijiの内側でそれが崩壊する。自作自演。周りから見ると「Jiji何言ってんの?こんないいリードしているし、いい場になっているのに?どうしてそんなに動揺して不安に思うの?」って見えるみたい。Jijiの中ではリーダーシップが「自分から創りだす」ということを意味する時、この自己崩壊と結びついて固まる。動けない。それって何?になる。ちゃぶ台をひっくり返して逃げたくなる。

Dちゃん主催のワークシップのお昼、Hっしーが「顔が見えないコーチングなんて、おかしよ!メーリング・リストで投げかけても誰からも返事が返ってこないなんて、そこへ参加している意味ないじゃん。そんな所へいるために、自分はコーチングをやっているんじゃない!」と言われて、「確かに。」と感じると同時に、対面でないコミュニケーションでの、情報の欠如からの疑問、不安、怒り、失望を感じた。「だから、対面じゃないとね」とHっしーは続けた。

その後の飲み会でもHっしーはずっと「反応」に拘っていた。それが笑いでも、からかいでも、とにかく何かやったら、レスポンスがある。そこに人と人との関わりの大切を感じ取っていた。

無反応ほど怖く、人を傷つけるものはない。逆に、そこに人がいると感じとれさえすれば、たいていの事に人は耐えられる。やっていける。より自分らしさを発揮できる。

だから今は祈ろう。声なき声を上げ、いろんな声が満ちていることの歓びを。それはとってもありえないことかも知れないけど、願うし、それに近づくため、いろいろ努力もする。
そして、こうしてIさんから怒られるJijiはとっても幸せ者なんだ。一人じゃないんだ。一人じゃ。今はそのありがたさを味わおう。漠然と広がる不安も抱えつつ。Jijiの内なる闇に浸食されつつ。