意図とカタルシス

溜め込んでいた感情を爆発させるのは、それが怒りであろうが、涙であろうが、笑いであろうが、スッキリする。

感情というものは、一定で有り続けようとすると、変化するという性質を持っている。

だから、こんな感情、もっちゃいけない!って思って、感じ尽くさないといつまでたってもモヤモヤが消えない。いつまでたっても、同じ所をいったり来たり、ああでもない、こうでもないって感じになる。

だから、ああ、そういう気持ち。確かに私の中にある。挨拶できそうかな?一緒にいてもいいですか?しばらくお付き合いしますよ。…そっか。ありがとう。あなたも私にとって大切な気持ちだね。そんなに○○な気持ち抱えていたんだね。うーん。○○っていうよりも、○△□って感じかな。うん。その方がしっくり来る。それを私に告げてくれていたんだね。じゃ、またね。

Jijiにとって、気持ちを認めるってことが凄く難しいけど、この流れ全体はわかるし、その効果も実感する。

ところが、意図はざるで水を掬うように、わかったようでわからない。

それは本当に意図に叶っていたんですか?

コーチングを学ぶと、ある目的をかなえるための手段はたくさんあるんだ!ってことに自然と目がいくようになる。一端駄目だ!と思っても、クリヤーするための条件について、再度考え直して、かなり無理くさいけど、出来ないわけではないのか?本当に無理なのか?かなり突き詰めて考えるようになる。

なぜ宮崎駿のアニメがいいのか?それは様々なメタファーが言葉でなく、散りばめられているからだと先日コーチ仲間がおっしゃっていた。今回の「ゲド戦記」の映画は、言葉でダイレクトに表現しすぎともおっしゃっていた。

コーチングでもそう。クライアントさんは小さな主題をどうにかしようと考える。でも、コーチは大きな主題の意図にそれはかなっているのか?いないのか?から判断しようとする。

Jijiにとってわからないのは、カタルシスを起こすだけでは意図に叶っていないと指摘されたこと。確かにある面、カタルシスを起こすと気持ちは一瞬スッキリするが、現実は何も変わっていない。また元の日常に回収されてしまう恐れがあるのはわかる。

コーチングは光をあてることで、物事に陰影を与える。そして、やろうとしている手段が意図と合致しているか?問う。

うーん、なんでカタルシスだけじゃ駄目なんだろうか?

そもそも意図って何?
誰のために設定するの?
そんなに気持ちって単純にこうって意図できるのだろうか?いろんなことが混ざり合っていないだろうか?

24時間の明晰夢
アーノルド・ミンデル著 / 藤見 幸雄訳 / 青木 聡訳
春秋社 (2006.5)
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