許すとは諦めること?

mikakoさんのブログに「許すとは諦めることに思えてならないんです」ってコメントがあり。とても心に残った。

Jijiにも同じように感じられ、どうも「許す」って腑に落ちていない。

しかし、この「許す」でものすごいパワーを振りまく人の存在を知った。

コーチングで「過去と人は変えられない。未来と自分は変えられる。」って言葉を知った。最初聞いた時、なんかわかるような、わからない感じだった。だって、誰がどう考えたって、あいつが悪いじゃん!ってあるでしょって感じ。

JijiはFUL41で、大きな気づきを得た。それはJijiの過去に対する再解釈だった。それまで、Jijiはやまあらしのジレンマ状態。寂しくて、人に近づいて行くと傷ついて離れて、そしてまたたまらなくなって、傷ついて…。わかっちゃいるけど、止められない状態が続き、もしかして人間嫌い?って思うようになっていた。でも、その時気がついたのは、もしかしてJijiって感受性が強い?ってことだった。どうも平均的な人よりも、他者の想いを感じ取る力が強い。それはJijiがコントロールしようにも、どうにもできないものだった。Jiji本人がどんなにいやがっていても、それは告げてきてしまう。だから他者の想いのエネルギーに触れるのを避けるためには、人を避けるしかなかった。だから人を避けていたのは、むやみやたらの人の想いに触れるのが嫌で、人を嫌いじゃなかった。

これにはビックリした。過去のこれまで思ってきた出来事が走馬燈のように、ああそうだったんだぁ。だからあの時、あんな風に反応していたんだぁ。そっか、そっか…。同時にすごく嬉しかった。ああ、Jijiって人が好きってわかってホッとした。

「許す」。それはきっと過去は過去として、認めてあげること。受け入れがたく、なぜその現象がよりにもよって私に起こるのか?認めたくない強い反発を超えて、あえてそれを起こしたのは私ですと人生に責任を持つこと。起こる出来事をどう受け止めるか?だけは人は選べる。よく言う、現象としては、コップ半分の水。コップに半分「しか」水がないのか?それとも、コップに半分「も」水があるのか?それは見ている視点が違うだけ。起きている現象は同じ。

世の中の出来事は、とても不公平。日々の行いとか、努力とかは関係なしに、ランダムに無差別に出来事は起きる。問題は、それが起きた時に、どうするか?

「許す」それはきっと内なるリーダーシップを発揮して、このどうにもならないと思える出来事も、それは私がどうにかします。まず、ない責任をとります。なぜなら、私の人生は私のものだから。この出来事をどう扱うかだけが私にできることだから。起きたことは変えられないから。

「許す」それは区切り。もうその起こってしまった出来事は、出来事として、受け止めること。「受け止めました。」と宣言すること。今から私は、その出来事に捕らわれない、新しい自分を創り出します。なぜなら、今の自分は変えていくことができるから。もうそれはそれとして、怒り・悲しみは全く引かないけど、そういうものだと、自分の中で、そんな風に感じる自分を抱きしめてあげること。

人が人である奇跡は、これを共鳴によって伝えられること。このパワーはすごい。もうダメだぁと落ち込んだ時、愛が共鳴すると「許せる」。(Jijiはハグされるとそれを感じられる。)大いなる愛のギフトが注ぎ込まれ、やっと切り離せる。私の中の部分。今までありがとう。こんなにも痛みを感じていたんだね。確かに痛かった。でも、この愛のギフトを受け止めた私は選ぶ。あなたの痛みに捕らわれ続けるのか?それとも、それはそれとして慈しみ、新しいありたい自分を創造するのか?を。この自由の空に私は羽ばたく。他の誰に遠慮するでもなく。なぜなら、それは私が私であることだから。


耳を澄まして聞いてみて。今、心がなんと叫んでいるのか?そして、体の声も聞こう。体がガチガチだったら、それはどっか無理をしている。あなたが発する内なる声を本当に探り当てた時、その響きは人を魅了する。体もゆるゆるだ!だって、確かにそこにあなたはいるのだから。

7デイズコーチング
近藤 直樹著 / 岸 英光監修
エクスナレッジ (2005.12)
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