後に続く

リーダーとフォロアーとはよくいったものだ。リーダーは恐怖の中、人としてある可能なありようのひとつをみせてくれる。困難な中「やりたいね!」という新しい可能をチームとして共有した時、その姿は失敗しても、思わず手を差し延べたくなる。自分も後に続こうと思う。状況はリーダーが挑んだ時と変わらない。でも気持ちが違う。あの失敗の姿が私に勇気をくれる。まして次に続こうとする私に声援を送ってくれる仲間がいる。それを受けとると、嬉しくなる。一人ではとても発揮できなかったことが、自分でも驚くぐらいできてしまう。
何なんだろう、これは。
ひとつハッキリしているのは、リーダーが前に進まないと変わらない。それはみんなのためじゃない。自分自身の生を生き切るため。この世界で存在する自らを顕現するため。それでもなお私はある。例えどんなに他者が私を否定しようと。なぜ私にばかりこんな理不尽な苦しみが降り注ごうとしても。コンディションは変えられない。でも私のありようは変えられる。生きる。ただその証を私は自らの生を使って現す。「世界はこんなにも美しいのに」