懸命に今を生きる

藤本ゆかりさんの紹介で、池間哲郎さんの講演を聞いた。

途中で言葉がなくなり、直視が苦しかった。ほんのり酔って眠かった頭が冴えた。

フィリピンのスモーキー・マウンテン(ゴミ捨て場)で12才の少女の夢は「大人になること」と聞いて、池間さんはアジアの子どもたちの貧困への支援を始めた。問題が大きすぎて手に負えないのは、分かってはいるけど、その言葉が胸に沁みて離れなかった。タイのストーリー・チルドレンは食べ物より安く手に入るシンナーを吸って4日も食べない空腹を紛らわせる。それを続けたら狂い死にすると知っていながら。

題名を聞いた時から、ヤバイと感じた。こういった現実を見て、あなたは知らんふりするのか?激しく自責モードに苛まされるのはわかっていた。

今までのRyoji☆であれば、途中で聞いていられなくて、逃げ出しただろう。これまでは耐えられなかった。寄付して、私一応このこと知って、自分がよいことをしたと、妥協してお茶を濁して忘れようとしただろう。中学生ぐらいにこの手の問いに嵌り、余りの無力さ。ただ自分が日本で生きているだけで、必然的に加害者となる構図に気が狂いそうだった。それは私の責任じゃない。社会を救う輝かしい希望の星だったマルクスの理論は、めたくそ。その弊害が露わになり、時代はポストモダンと言い、確かなものなぞ何もないと言われた。だから大体こういった危ない話には近寄らなかった。

今回はジッと見た。ちゃんと聞いた。良心の呵責に苛まれず、「そうだ」と受け止める。

そうだけど、苦しいのはこっちも同じ。今生きているこの状況をうまく説明出来ないけど、苦しい。何か違う基準で、苦しい。

「日本人に生まれただけで、この世に生まれた98%の幸せを手に入れたことになる」と池間さんが出会う子どもたちは言う。同時に、池間さんは日本の子どもたちはおかしいという。子どもが家事をしないのは、日本だけ。なぜ母親が家事をするなんて、アジアのどこでも見たこと無いことが起きるんだろうか?

まぁそれは社会学的には、弱者の紐帯ということで、倫理がどうのじゃないんだけどね。貧しければ、そうやって助け合わないと、いざ自分が何かあった時に助けて貰えないとも説明出来る。

今回、あぁやっとRyoji☆は今を精一杯生きてると胸を張れるようになったと知った。だから、あの子どもたちと同じ水準で立てる。Ryoji☆もこの時代の日本をちゃんと生き抜いてる。彼らの生を見て聞いても、Ryoji☆は動揺しない。恥じることは何もない。そうなんだ。ダン。
だからやることをやろう。Ryoji☆なりのペースと方法で。偽善者と呼ばれようが、やりたいからやる。そして願う。あなたも今の生を生き抜いて!

Kみ子さん曰わく、Ryoji☆自身のこととなると、臆病でへなちょこだけど、人のことには滅法熱いのは、コーチングを通じてそれがRyoji☆なんだとわかったから。

その数学が戦略を決める

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