「人の話を聞け!」・激怒・通じ合えない悲しみ

お正月。実家に帰って、母(J学生)と弟(Sぶちん)と3人でたわいもない話をしていた。ずっとSぶちんが8〜9割しゃべって、J学生が2割〜1割受け答え。Ryojiはずっと会話を耳で聞いていながら、本をパラパラ読んでいた。ひょんなことから、J学生とSぶちんの話に割り込んで、Dんなから聞いた過去と今と未来のとらえ方を話をJ学生にした。で、J学生が考えて話そうとするのをRyojiが待っていたら、脇からSぶちんが「Ryojiの説明はなっちゃいない。それはこういうことだ」と言った。

で、気が付いたら、Ryojiが激怒していて、机を叩いて「人の話を聞け!」とSぶちんに怒鳴っていた。SぶちんもSぶちんで、この状態になると、昔から手が付けられなかったが、前にも増してひどくなっていて、肝心のこちらが理解してほしいと思っている気持ちについては、まるで感じ取ってくれず、「おまえ[Ryoji]こそ、人の話を聞け!」とSぶちんは叫んでいた。

我に返って、感モニすると、Ryojiが怒っていたのは、SぶちんがSぶちんの情念をJ学生に垂れ流していることだった。脇で聞いていると、Sぶちんは本当に素晴らしい論理を展開しているのだが、まるでJ学生を会話の参加者にしていない。教授が学生に「君たちはまるで無知だね」と蕩々と高説を述べているのと同じことをしていた。対話。会話を楽しむことになっていない。J学生が「私はこう思った」という度に、「いや、それは間違っている。これこれって考えないとダメ」という話を延々と繰り返していた。そうやって、あちこちに「No」の防壁を築いて、「自分の考えをしないとダメだ」とずっと言い続けていた。

中学生このかた。この領域にさしかかると、RyojiはいつもSぶちんとケンカになり、口で言い負かされて、内心が煮えくり渡った怨念が今も残っている。

言葉ではうまく説明できないんだけど、ものすごい不快。イライラしてくる。分かってもらおうとする言葉がなぜか鮮やかに理解されずに、戻ってくる。で、口の上では、なぜかSぶちんが良い者で、こちらが悪者。そういうことを言っているんじゃないのに、なぜか届かない。そこへ到達しようとすると、シャットダウンにあう。

J学生から会社でのSぶちんの話を聞くと、それがSぶちんに積もり積もって降りかかっているように、Ryojiには見える。J学生はSぶちんを愛しているから、まだ話に付き合っているけど、これでは他者と通じ合うことができないようにRyojiには思える。それがますますひどくなっているように感じられた。中学生の時分、RyojiはSぶちんにわかってもらうのを諦めた。コンテンツはほんと素晴らしいことを言っているんだけど、肝心の気持ちをわかってもらえない。

DんなやFゆFゆといった素晴らしい人格者の薫風よろしく、だいぶRyojiも瞬間湯沸かし器ではなく、怒らなくなってきたなぁと思ってきたけど、あぁこんなにも感情が逆巻くんだと嘆息した。

おそらくコーチングに惹かれているのも、この辺に理由があるんだろうな。言葉で理解してもらえない悲しみ。分かってほしいのは内容じゃなくて、なんとも言葉にしきれないこの気持ち。だから、フォーカシングも好き。何とも言葉に出来ない何かを感じ取る。パーソンセンタード・セラピーも好き。自己体験を感じ取る間を委ねてくれる。分析したり判断したりせず、湧き上がるままでOKとしてくれる。ハコミ・セラピーも好き。感じ取る間を用意してくれるから。
このポイントはRyojiにとって譲れない線だということがよくわかった。これが侵されると、怒りで爆発してしまう。

それにしても、Dんなの言う「解脱レベル」への道は果てしなく遠い。

誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義

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